メメントモリ

絵画の物語

メメントモリ

絵は直感で見ればいいという方もいますが、たとえば音楽はその曲の生まれた背景を知ることで、メロディや歌詞に込められた思いをより深く知ることがあります。絵画もその物語を知ることで、新しい風景が見えてくることがあるのではないかと思っています。

民俗学に興味があった夫の旅はインドからスタートしました。ガンジス川では火葬と散骨、ネパールでは鳥葬、カタコンベでは何百体もの骸骨をスケッチして歩きました。

そして日本の破損仏、ロマネスクの教会やそこに描かれた壁画を経て人々の信仰の対象となる山、滝、崖、月や太陽など、モチーフは変わっていきます。

メメントモリというラテン語の言葉があります。「死を想え」と訳されています。

人はどこから来てどこへ還るのか。

子供の頃、誰もが一度は「今ここに自分がいることの不思議」を感じたことがあるのではないでしょうか。その気持ちを、夫はずっと持ち続けていたと思います。

その思いがある時は恐れとなり、ある時は祈りとなり、ある時は喜びとなりました。

夫の絵の中心にはいつも「メメントモリ」がありました。

というと、重く暗い絵を思われるかもしれませんが、夫の絵はほのかに明るい、どことなくユーモアを感じさせるものが多いです。それは、基本的に生きることに肯定的な夫の性格によるものでしょう。

遠くを走る列車に、子供がおーいと手を振ることがあります。向こうからこちらが見えるとは思えないし、誰が乗っているのかもわからない。そもそも人が乗っているのかどうかもわからないのに。

夫にとって絵を描くことは、遠くを走る列車に手を振るようなことだったのではないかと思ってます。

遥か遠くの大いなる何かに向かって「おーい、僕はここにいるよ!」と。